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浦和地方裁判所 昭和45年(わ)638号 判決 1972年7月17日

被告人 萩原貞次

昭一一・六・一三生 日雇人夫

主文

被告人を死刑に処する。

理由

(被告人の経歴等)

被告人は、本籍地において、農業を営んでいた父萩原音右衛門および母よ志の間の三男として生まれ、昭和二七年三月ごろ、同地の美笹中学校を卒業後、蕨市や戸田市および東京都内の織物工場やカツプ製作所の工員、鉄工所の鋳物工などとして働いたが、いずれもあまり長続きせず、その後は定職にも就かず、時には実兄萩原幾雄の経営している熔接業の手伝いをしていたが、その間、いずれも窃盗罪により、昭和三二年一〇月に懲役一年、保護観察付執行猶予三年の判決を受け、同三四年五月には懲役一〇月の判決を受け、右執行猶予も取り消され合わせて右刑を水戸少年刑務所で服役し、さらに同四〇年三月には懲役六月、同一年四月および同一年の判決を受けて府中刑務所で服役した。被告人は、右府中刑務所を出所後もやはり定職にも就かずにいたが、両親や兄弟に対して次第に肩身が狭くなつたために、同四三年ごろ実家を飛び出し、川崎や東京・山谷の簡易宿泊所に寝泊りしながら日雇人夫として働くようになつたものの、同四三年九月には再び台東簡易裁判所で窃盗罪により懲役一年八月に処せられ、同四五年五月二六日右刑の服役を終えて青森刑務所を出所した後は実家へ戻ることもできないままに東京・山谷の簡易宿泊所に身を置いて遊び歩き、右青森刑務所出所の際に受け取つた約一万四、〇〇〇円位の所持金を使い果たし、その後は川崎市内の東洋ガラス、東洋製缶の日雇人夫として働き、その間の七月六日からは東京都大田区西蒲田五丁目二三番一三号所在の簡易旅館「銀閣」(経営者丸茂ケイ)に宿泊していたものである。

(本件犯行に至る経緯)

被告人は、中学校を卒業後数年して女遊びを覚えるとこれに異常な関心を示し、当時稼働して得た給料の大半をこれに費消するようになつたが、さらに深夜徘徊しては女性の寝姿を覗見したり、或いは女性の下着類を窃取してはこれを身に着けたりするようになり、また遊興費に不足すると頻繁に窃盗の犯行を繰り返し、一時は実家から多額の金員を持ち出して遊興費に当てたこともあつた。しかも右のような被告人の変質的な欲望は、昭和三〇年ごろ、被告人の長兄萩原清吉(昭和五年八月二日生)が同トミイ(同八年六月二一日生)と結婚し、実家の一つ屋根の下に清吉夫婦と障子一枚を隔てた隣室に寝起きするようになつてから一層助長され、被告人は嫂トミイに対して色情を抱き、夜間しばしば清吉夫婦の部屋を覗見し、遂には清吉の留守を窺つて就寝中のトミイを襲い、その欲望を遂げたこともあり、以後清吉夫婦が実家を出たのちも同女に執着し、清吉方に近づいては同女の寝姿を覗見したり、夫清吉の留守を狙つては就寝中の同女の部屋に侵入してその陰部を弄んだりしていた。他方、被告人は、前記したように、昭和四三年九月に台東簡易裁判所で窃盗罪により懲役一年八月に処せられ、青森刑務所で服役するようになつたが、度重なる服役生活に更生の意欲を全く失い、女性に対する自己の欲望をますます募らせるばかりで、刑務所内においてはその欲望をどうすることもできないままに、出所した際には婦女を殺害してでもその肉体を自由にして姦淫し或いはその陰部を弄ぼうと思い詰め、さらにはその陰部や大腿部の肉を切り取つて食しようとさえ考えるに至り、前記のように、昭和四五年五月二六日青森刑務所を満期出所した後川崎市内で日雇人夫として働くようになつた間も、被告人は、実家近くで勝手のよく知つた戸田市大字下笹目ないし美女木地内を深夜徘徊しては女性の寝姿の覗見を繰り返し、同市大字下笹目三、二七一番地所在の実兄清吉方にも再三赴き、隣家から折畳式木製梯子を持ち出しては、夫清吉や子供と共に寝ているトミイの姿を覗いていたが、いたずらに自己の情欲をかき立てるにすぎず、青森刑務所で考えていたことを実行に移す機会を容易に得ることができなかつた。そこで、被告人は、右の欲望を遂げるために、婦女が一人でなく、家人と共に居合せた場合にはそれらを皆殺しにしてでも自己の欲望を遂げたいと思うようになり、同年七月上旬ごろ実家に赴き、同家物置入口付近に立て掛けてあつた薪割(刃渡り五・七センチメートル、柄の長さ八八センチメートル、全重量二・九八キログラム、昭和四六年押第一一号の一)を何時でも持ち出して使用できるように家人の目の届かぬ右物置内の戸棚の下に隠し、その後も実家付近を深夜徘徊しては覗見を繰り返し、自己の欲望を遂げる機会を窺つていた。

(罪となるべき事実)

被告人は、昭和四五年八月八日午前六時ごろ、着換用の衣類を入れた黒色マジツクバツグ(昭和四六年押第一一号の八)を持ち、前記簡易旅館「銀閣」を出て国鉄蒲田駅から電車に乗り、大宮駅まで来て立喰蕎麦を食べ、一旦東京へ戻り、上野、浅草で時間を過してから同日午後九時半ごろ京浜東北線西川口駅に至り、バスで、戸田市氷川町地内の妙顕寺バス停留所まできて下車し、同市新曾地内の公衆浴場「一本木湯」(経営者峰岸俊)に入つたところ、たまたま実弟萩原実がその友人と共に来合せたため、右実に気づかれないように同浴場を出、右実らが乗つて来て同浴場前に止めて置いた施錠のない自転車を取り出してこれに乗り、荒川左岸堤防の土手で一時間位を過したのち、同日午後一一時三〇分ごろ、前記実兄萩原清吉方に至り、同家南東三畳間西側のアルミサツシ製ガラス戸がたまたま無施錠であつたので開けて室内を覗き込んだところ、同家六畳間に前記嫂トミイが清吉とその次男義男(昭和三七年八月九日生)に挾まれて寝ている姿を認め、情欲を起し、今夜こそ右清吉一家を皆殺ししたうえトミイの肉体やその陰部を弄ぼうと決意し、直ちに自転車に乗つて前記実家へ赴き、その母屋西側物置から、前記のように、兼ねて用意しておいた薪割を持ち出し、翌八月九日午前二時ごろ、右清吉方に至り、その付近の空地に自転車を放置し、同家裏庭から再び右三畳間西側のアルミサツシ製ガラス戸を開けて同三畳間に上り込み、着換用衣類等の入つたマジツクバツグを同所机の下に置き、右薪割を持つて同家六畳間に立ち入り、先ずあお向けに寝ていたトミイの枕元付近に立ち、その頭部付近を左利きの姿勢で右薪割を振り下ろして強打し、次いで就寝中の清吉、義男の順にその頭部、顔面等を右同様に強打したうえ、さらに呻き声を発している右三名の頭部、顔面等を右同様薪割で数回宛強打し、続いて同家三畳間のベツドから右の物音に目覚めて起きてきた清吉およびトミイ間の長男孝一(昭和三二年一一月三〇日生)を畳の上に引き倒して右同様薪割を振つてその頭部、顔面等を数回強打したうえ、すでに虫の息となつたトミイの身体を弄んでいたが、その間右四名が相次いで呻き声を発するや、その都度右同様薪割を振つて右四名の頭部、顔面等を強打し、よつて間もなく同所において右四名をしていずれも脳挫滅により死亡せしめて殺害したものである。

(証拠の標目)(略)

(弁護人の主張に対する判断)

弁護人は、被告人は、生来性の精神異常者かつ精神病質者であり、そのうえ著しい性欲倒錯を有しているものであつて、本件犯行当時いわゆる心神喪失または少くとも心神耗弱の状態にあつた旨主張する。

そこで、右の点について検討するに、前掲関係各証拠並びに鑑定人中田修作成の鑑定書および同人の当公判廷における供述によれば、被告人は、精神病の徴候は全く見られず、過去にもそのような疾患に罹患した事実もないこと、その知能も下位には属するものの正常の範囲内にあること、ただ、被告人が、意志薄弱、無常性の異常性格を示し、かつ窃視症、フエチシズム、多淫症、カニバリズム等の性欲倒錯を有しており、右異常性格および性欲倒錯は遺伝性、生来性のものであること、しかしながら本件犯行は一応沈着に遂行され、四囲の状況に対する配慮も十分あり、記憶も仔細にわたつているので、当時意識障害その他著るしい病的精神状態になかつたこと、が認められ、このことは被告人の捜査段階における全供述、当公判廷における供述内容、特に被告人が本件犯行に際して着換用の衣類を携帯し、四人を殺害したのち部屋に残つた指紋を消し、薪割を排水路に捨てる際に一旦素手のままで被害者宅を出て付近に人影のないのを確認していることなどによつても十分窺われるところである。

よつて、被告人は、本件犯行当時、事物の是非弁別能力およびこれにしたがつて自己を抑制する能力を欠如した状態になかつたことは勿論、それらを著しく減弱した状態にあつたものということもできないから弁護人の主張はこれを採用しない。

(法令の適用)

被告人の判示各所為はいずれも刑法一九九条に該当し、以上は同法四五条前段の併合罪であるが、右のうち萩原トミイに対する殺人罪につき所定刑中死刑を選択して処断するのを相当とするから、同法四六条一項により他の刑を科しないこととし、訴訟費用は、刑事訴訟法一八一条一項但書により被告人に負担させないこととする。

(量刑事情)

被告人の本件犯行は判示のように萩原清吉方一家四名全員を殺害したものであるが、

一、まず犯行の態様について検討すると、被告人は前判示のごとく薪割をもつて清吉夫妻の六畳寝間に立ち入るや、直に所携の薪割を振つて就寝中のトミイ、清吉、義男の各頭部を順次殴打し、物音に目をさまして隣室から起きて来た長男孝一をひき倒して同様殴打した上、右トミイに対する自己の情欲を果すべく血まみれの同女を姦淫中、苦悶の余りうめき声を発した右被害者四名を、その都度右薪割を振つて滅多打ちに乱打し、一面血の海と化した部屋の中でトミイに対する自己の獣欲を果し擂粉木棒でその陰部を弄び、果ては同女の肉を切りとつて食すべく包丁を捜したが見当らず断念しているのであるが、右薪割による打撃はいずれも刃の部分で被害者の頭部、顔面をねらつて強打したものであり、被害者らの蒙つた創傷は、トミイは前額部、頭頂部に少くとも六ヶ、清吉は頭部、顔面に約一七ヶ、義男は頭部、顔面、背部に約一九ヶ、孝一は頭部、顔に約一四ヶの割創を含めて、頸部、胸部、背部、上下肢部を併せて合計実に三一ヶの割創等をうけ、いずれも頭蓋骨は骨折して頭蓋腔内に陥没し、脳実質は打撃凶器による損傷のため殆ど原形を止めない程度に挫滅されており、被害現場の布団、床板、鴨居、敷居等には、狙いがはずれたためか、勢いが余つたためか薪割の刃による打撃の生々しい痕跡が数多く残されており、凄惨眼を被わしめるものがある。而して長男孝一に対する打撃につき被告人は検察官に対し「この孝一は兎に角何回叩いてもなかなか呻き声が消えず、子供のくせに随分生命力が強いなあと思つた記憶があります。この孝一を叩いた回数が一番多かつたと思いますが、その際三畳間の床板に薪割があたつて大きな音がした事が二、三度ありました」とのべているのであつて、犯行の様相はまことに無残という外はない。

二、ところで本件殺人事件で最も特異な点は右のごとき凄惨、無情な殺害行為を敢行した理由が、怨恨、復讐とか、物とりに入り発覚を恐れたことなどに基因するものではなく、被告人の言をもつてすれば、ただトミイの身体を何ら抵抗、妨害をうけることなくいたずらするためで、最初にトミイを薪割で殴りつけたのは、他の者を先に殺害すると、その間にトミイに目を覚まされて逃げられることをおそれたというのである。しかも、その目的を達するためにのみ、その邪魔になるものは一切抹殺してやまず、ことに、それが肉身であろうが一向に意に介しないまま、なんの罪とがもない家族全員を皆殺しにしていることである。

三、この異常性について鑑定人中田修の鑑定の結果によると、被告人には性欲の異常があり、性欲倒錯、性的精神病質が存し、被告人にとつて性生活が異常な関心事であり、その精神内界の大部分を性の問題が占めていること、これに意志薄弱性、情性欠如、無情性の異常性格が相伴つて、窃視症、フエチシズム、性器玩弄、性交のための殺人、カニバリズムなどの表象に絶えずつきまとわれていること、被告人が女を殺そうと思うのは性交を容易にするためで、被告人の無情性の性格が殺人に対し恐怖心を抱かせないというよりむしろ残虐性を好む傾向すら生ぜしめており、精神医学上稀にみる異常人格であり怪物(モンスター)といつて差支えないことが認められる。

四、右のような被告人の異常性格、性欲倒錯が被告人をして本件犯行を敢行させたことが明らかであるが、本件で更に問題となるのは、被告人の右異常犯行の対象は必ずしもトミイに限らなかつたという点である。即ち被告人はかねてより婦女子を殺害して死体を姦し、或はその肉を食うという妄想をいだき、昭和四五年五月二六日青森刑務所を出所後は本籍地の実家に戻らず、川崎市内で働くようになつて以後である同年七月上旬ごろ、前判示のとおり実家の物置内の戸棚の下に本件薪割を隠し、婦女殺害の準備をした上、同月上旬以降しばしば夜間戸田市大字美女木、同市大字下笹目地内を徘徊して婦女子の寝姿をのぞき見ながら本件犯行の機会をうかがつていたもので、被告人が本件当日かねての計画を実行に移すため、返り血をあびた場合の着換用の衣類(半袖シヤツとズボン)をもつて前判示のごとく簡易旅館「銀閣」を出た際も、犯行を行う対象は必ずしも定まつていなかつたのであり、更に被告人が前判示のとおりトミイを殺害することを一旦決意し直に実家に赴いて薪割を自転車に積んで戻る途中、以前数回覗いて目をつけておいた同市大字下笹目三、一五〇高田イネ方前を通りかかるや、自転車を降りて、どちらで犯行を行うかきめるつもりで同家を覗見しているのであつて、被告人の前記犯罪性はいわゆる通り魔的な高度の危険性を有するものといわねばならない。

五、被告人は前判示のとおり本籍地で農業を営む音右衛門、よ志間の同胞八名のうちの三男として生れ、何不自由なく美笹中学校を卒業しており鑑定人中田修の鑑定の結果によれば被告人は後天的に重大な疾患や頭部外傷を経過したことはなく、その異常性格や性欲倒錯は何らかの疾患を契機として出現したものではなく生来性素質にもとづくものであることが認められる。而して被告人の右異常性欲は年少時よりの盗癖と相俟つて女物の下着類を盗み、或は盗品を売却して女遊びなどに浪費することが重なるにしたがつて漸次昂進し、前判示のとおり昭和三〇年ごろ長兄清吉夫妻の性生活を覗見することにより一層助長されていき、次第に被告人特有のフエチシズム、カニバリズムへと発展して行つたのであり、この特異ともいえる異常性欲への執着は被告人の数次にわたる刑務所生活においても何ら改善されることがなかつたのみか、前判示のごとく青森刑務所で最終刑を受刑中終始被告人の念頭を去らず、かくして今や執念の鬼となつた被告人は右刑務所出所後僅か三ヶ月を出ない間に、突如狂える野獣のごとく清吉方一家を襲い、単に自己の獣欲のさまたげられない満足のためにのみ、薪割を振つて清吉夫妻を殺害したのみでなく、頑是ない八才、一二才の二少年の生命まで奪い去り、平和な家庭を一夜にして無残にも抹殺してしまつたのである。しかも被告人は本件犯行後一旦前記「銀閣」に戻り翌一〇日に事件が発覚していなければトミイの肉を切りとりに再度犯行現場に赴くつもりでいたもので、その後逃走を企て実家に資金の調達を電話して断られるや、かねて目をつけていた女性の家を襲う同様の犯行を計画中逮捕されたものであり、当公判廷においても犯行を後悔しているが、一番残念だつたのはトミイの肉が食えなかつたことであり、機会があれは同様の犯行を敢行したいという自己の気持を押えることができない旨陳述している被告人に対しては当裁判所ばもはや懲役刑による改善可能の余地はないものと断ぜざるをえない。

以上の諸点を考慮するとき、他に、被告人に酌むべき情状の見出しえない本件にあつては、被告人の本件犯行は極刑にのみ値し、従つて被告人には死刑を科する以外にないものと思料する。

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